長崎原爆投下の日。過去の歴史を繰り返さないためにまずは知ることが大切なのかなと。

長崎平和記念像
今日は長崎原爆投下の日です。
毎年、8月6日と8月9日だけは、原爆の恐ろしさと平和について考えることにしています。

広島原爆投下の日。いつか子ども達を広島に連れて行こうと思います。
今年もこの日がやってきました。71年前の今日、広島に原爆が投下されました。 毎年この時期になると、過去の悲惨な戦争の反省のうえに、...

私の通っていた学校はミッション系の学校だったため、広島に2回、長崎には1回、修学旅行で訪れました。
修学旅行先で広島平和記念資料館や長崎原爆資料館訪れたり、被爆者の方のお話を聞いたりした他、原爆について事前に勉強するという課題もあり、当時は色々な本を読みました。

原爆の恐ろしさ、残酷さ、そして平和の大切さについては、当時ものすごく考えさせられたし、学んだことは私の考え方のベースの一部にあると思います。

ただ、当時疑問だったのが、「なぜアメリカは日本に原爆を落とす必要があったのか?」という問いに対して、多くのアメリカ人が「戦争を早く終わらせるために原爆は必要だった」ということを口にするということ。

アメリカが日本に原爆を落とした理由ついては、「戦争を早く終わらせるために原爆は必要だった」という公式見解のほかにも、白人の黄色人種である日本人への差別だとか、原爆の威力を試すための実験だったとか、その他にも色々言われています。

ただ、これらの理由はアメリカの政府や軍部にとっては意味のあることでしょうが、アメリカに住む一般人や一軍人にとっては重要なことではなかったはず。

それにアメリカによる原爆投下は、あれだけ沢山の一般市民を一度に殺していますし、国際法違反とも言えるはずです。

それなのに、あれだけの残酷な被害を生んだ(その他の大空襲も民間人を対象にしているから国際法違反だとは思いますが、長年に渡る後遺症を考えるとその被害は本当に残酷です)にも関わらず、どうしてアメリカの人たちは「戦争を早く終わらせるために原爆は必要だった」と言えるのか?と、とても疑問でした。

あんなに沢山の命が一度に奪われる原爆を間違いではなかったと言い切る彼らアメリカの人たちは、人の命を大切にするはずのクリスチャンで、非常に矛盾しているように感じていたのです。

8月6日に読んでいたブログ記事の中に、そのヒントが隠されているような気がしました。

ドキュメンタリのインタビューに答える元アメリカ人兵士たちの口からは The Japanese didn’t know how to lose. (日本人は負け方を知らない)という言葉がよく出てくる。 くだらないことをいうと英語がわかるひとは「the Japanese」に注意するとよいが、「文明人ではないんだ」というニュ...

この記事によると、当時のアメリカ兵の視点からすると(もしかしたら民間の人たちも)、ドイツも降伏して日本の負けが決定しているにも関わらず降伏せずに国民の最後の一人まで戦おうとする日本に対して、神風特攻隊に対して、人間と言うよりは「殺しても殺しても自分の生命ごと爆弾を叩きつけてくる薄気味の悪い敵」という印象を持っていたというのです。

日本は負けると分かっていながらムダ死にを選ぶ薄気味悪い敵。だからこそ、日本に原爆を落とし早く戦争が終わったことで、多くの命が救われた、とアメリカの人は考えていると。

この視点は今までなかったので、本当に驚きました。と同時にゾッとしました。

現代でも、日本での神風特攻隊への評価は、軍のトップによる判断は間違っていたけど、国のために命を懸けた人たちは素晴らしいというのが一般的です。

が、欧米から見たら当時の日本は、今の私たちがISのテロリスト達に感じる感覚に近いのかなと思います。

では、ISのテロリスト達から今の情勢を見ると・・・?

ここ数年、シリア情勢、ヨーロッパ各地で起こるテロなど、どんどん世界中がキナ臭くなってきているように感じます。
そんな中で、日本もこれから憲法改正の議論が進み、自衛隊のあり方も変わるかもしれません。

この流れの中で、過去の悲惨な歴史を繰り返さないために、一番必要なことは「知る」ことかなぁと思っています。

きちんと過去を知ること。
そして、相手を知ること。

そうしたら、武力でない、争いでない、別の答えが見つかるかも。
21世紀の豊かな文明に生きるはずの私たち、武力なんて野蛮な方法じゃなくて、もっと洗練された方法をみつけられないものでしょうか。

71年前に原爆が落とされた長崎の爆心地近くには、皮肉なことに、当時東洋一の荘厳さを誇ると言われた浦上天主堂がありました。12,000人いた信徒のうち8,500人が被爆死したといわれています。

現在の聖堂は1959年に再建されました。
修学旅行で訪れた浦上天主堂は、本当に美しく、厳かな空間でした。
そこで感じたのは、憎しみや怒りではなく、静かな静かな祈り。平和に対する静かな決意のようなものです。

浦上天主堂の歴史や今の状況、そして聖堂の空気などを知ることもまた、過ちを繰り返さないための一歩のように思います。

その他に、8月6日に気になった記事。どれも考えさせられます。

日本語で見聞きする太平洋戦争についての話が、あまりに奇妙で、いわば日本が主役の話に書き換えられて、常識と異なっているので、 「ふたつの太平洋戦争」 という記事を書いたことがある。 毎年、今頃になると、こんなことばかり書いているような気がするが、日本の人の第二次世界大戦に対する他国との認識のずれは、どこからどうみてもナチ...
苦悩する彼がおかしいのか、「命令に従っただけ」と居直ることがおかしいのか。

過去を知ること。相手を知ること。
そしてそれを子ども達に伝えること。
私にできることは、そういったことかなぁと考えさせられてしまいました。


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